内田百閒2012/05/25

 倉橋由美子は内田百閒の文章を「食べだすとやめられない駄菓子」と評したが確かに百閒の文章はどんどん読みたくなる。鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」の下敷きとなった「サラサーテの盤」に代表される幻想譚、怪異譚が有名だが長編「贋作吾輩は猫である」のとぼけた雰囲気も楽しい。第七の冒頭「出田羅迷君」と先生の会話。

 出田羅迷君が長い顔をして来ている。
 「お忙しいですか」
 「なぜ」
 「いえ、お忙しいですか」
 「それ程でもない」
 「そうですか。しかしお忙しいのでしょう」
 「忙しくない」
 「いや、お忙しいのは結構です」
 「何を云ってるんだ」

 いかにも百閒らしい会話だが、こういう文章は簡単そうに見えても常人にはなかなか書けない。百閒の師である漱石も日本語の達人であったが明治期の文人は文語体、漢文の素養がものを云うのだろう。三島由紀夫も鴎外の文章を漢文と比較していた。